~ 第1回:仏教と起業家精神が響きあう瞬間 ~
私し、砂川昇健は無学な男ですから、自分の「経験」と「本」を通して学びます。「ハウツービジネス書」や「帝王学」「兵法」「哲学」「仏教」など、役に立ちそうな「本」を良く読みます。私、砂川昇健は、仏教の信者ではありませんが、仏教の教えには深い感銘を受けます。仏教に限らず、考え方や思想に良い影響を受けるものであれば進んで学びたいとも思います。例えるなら、スポーツをコーチに教えて貰うように「いかに生きるべきか」と、誰よりも考えた先人から学ぶべき点は多いと思います。
現代人は「無宗教論者」が大半であり「宗教」に対する嫌悪感が強いと思いますが、「他者から影響を受けない」「学ばない」「心のままに生きる」と言う、なんとない「信念」も又、一つの宗教かも知れません。私、砂川昇健は、仏教を深く学んで習得している訳ではありませんが、私の半生と仏教思想が響きあうと感じた体験を書き記して行きたいと思います。
以前、元ボクシング世界チャンピオンの具志堅用高さんの家系についてのドキュメンタリー番組を見たことがあります。彼の祖父母の時代には、生活のために海外に移住したり、「カツオ漁」に従事したりして生計を立てていたようです。また、戦争で親戚を含めて4名以上の方が命を落とされたといいます。そのような苦労を乗り越えて、具志堅用高さんが成功を収めた背景には、家族の歴史や強い精神力があったのだろうと感じます。実は、彼は私の「先輩」にあたります。
私自身も、家庭の経済的な苦労を知る環境で育ちました。太平洋戦争が終わったのは、母が17歳の頃でした。その後、日本は敗戦国として非常に厳しい時代を迎え、母も貧しい生活の中で苦労を重ねてきたようです。当時、労働力をお金に変えるのは容易ではありませんでしたが、母は野菜や魚を仕入れて市場で販売し、貯蓄したお金でお店を経営するなど、女手一つで子供たちを育てました。その強さと忍耐力は、今でも私にとって尊敬の対象です。
私も小学生の頃までは貧しい生活をしていましたが、中学生になる頃には少しずつ生活が安定してきた記憶があります。中学生の頃位から、父は養豚業を営んでおり、私もよくその仕事を手伝いました。リヤカーで残飯を回収し、それをドラム缶を半分に切った器に入れる作業は、子供心に手がぬるぬるして気持ち悪かったことを覚えています。
孫正義氏も、幼少期には長崎県で「住所無番地」という非常に厳しい環境で暮らしていたといいます。彼の先祖も大陸から日本に流れ着き、多くの困難を経験したのでしょう。また、彼の実家も養豚業を営んでいたそうです。お互いに、そうした体験を通して「自分の代で百姓は卒業してやる」と固く誓い、成功を目指して努力してきたのではないでしょうか。
しかし、面白いことに、今では私は農業や養豚でのんびり暮らしていきたいと考えることもあります。過去に苦労した経験が、今では懐かしさや安らぎを伴うものとして心に残り、それを再び自分の生活に取り入れたいと思うようになるのは、不思議で面白い巡り合わせだと感じます。
仏教には、「因縁果(いんねんか)の通り」という考えがあります。例えば、私達が食する「お米」は、最初に「もみだね」が無くては作る事は出来ません。これが「因(いん)」です。そして、「もみだね」を植える畑や肥料や水や行動が「縁(えん)」です。そして収穫する「お米」が「果(か)」です。仏教の「因縁果の通り」は、原因(因)と条件(縁)が揃うことで結果(果)が生じるという考え方です。この法則は私たちの人生や日常生活にも深く関連しています。
仕事での成功は、
「因」:仕事に必要な能力や努力を注ぐ。又は、そう決意する。
「縁」:会社や、上司や同僚のサポート、又は自身の行動。
「果」:プロジェクトの成功や昇進へと繋がって行きます。
この関係性を一文字で表した言葉が「空」です。「空」とは、「無」ではありません。「因縁果」の関係性全部を表しています。
現代人は、デカルトの「我思う、故に我あり」そして、ニュートンの重力の発見などの時代から、科学的で論理的で証明できるもの、或は目に見えるものを「真理」として考えます。しかし、仏教的には、現実は「果」であり、一時的なものであると考えます。つまり「空」のプロセスの一部としてとらえます。(※これを「諸法無我」「一切皆空」とも言います)
「色」は目に見えるもの、五感で感じられる現象を指します。現代の言葉で言えば、物質や現実世界を構成するあらゆるものです。「空」は、すべての現象が独立した実体を持たないこと、他の要因(因縁)によって成り立つ一時的な存在であることを指します。これには「無常」「無我」という仏教の基本的な教えが含まれています。(続く)